福田寺について
縁起・歴史
福田寺は、小田原市本町にある時宗のお寺です。山号を蓋子山といい、永仁五年(1297)、時宗遊行二祖他阿真教上人により創建されました。当寺院は、鎌倉時代、箱根の双子山の辺りにあり、箱根権現別当格の寺であったといわれています。 後北条氏の時に、現在の場所(小田原市)に移転したといわれています。
現在、当寺院があった場所の周辺(元箱根国道沿い二子山麓)には、精進池があり、正安二年銘の六地蔵と永仁元年銘の磨崖佛大小二十五菩薩像(後者は国重要文化財)があり、また、精進池沿いの遊歩道をしばらく進むと、高さ3mほどの多田満仲墓宝筮印塔(阿号がある国重要文化財・永仁四年の伝)もあります。この周辺が、元々福田寺のあった場所といわれています。また、この周辺には、曽我兄弟の古搭もあり、かつて曽我物語を口誦した時衆聖の往来したところであろうかと思われます。(「新編相模風土記」より)
北条氏二代北条氏綱は、連歌を好んでいたが、その時に、当寺院住職(愛阿)も同好のよしみで、度々城中に招かれ(「小田原記」より)、この史実などから小田原で寺をかまえるきっかけになったのであろうといわれています。
阿弥陀如来座像
日限地蔵尊
御本尊は、阿弥陀如来坐像ですが、もともとは、地蔵菩薩が安置されていたと伝えられています。 本堂奥にもとの小地蔵尊像、彫り菊紋がある。過去帳に阿弥号あり。
時宗とは
時宗は、鎌倉時代末期に一遍上人によって開かれた宗派で、名号「南無阿弥陀仏」を拠り所とする浄土門の一流です。
時宗の由来
一遍上人も真教上人も教団に所属している僧尼を「時衆」と呼んでいます。
これは浄土教の祖師である善導大師が自らの門弟を「時衆」と呼んだことに由来します。
一日24時間を4時間ごとに分割した勤行(六時礼讃)や不断念仏などの法要を一定期間行うときには、時間で僧尼を交代させる必要があり、交代要員の人数と時間は定められていました。その要因が「時衆」です。
「時衆」は本来個々の僧尼を示す言葉ですが、他教団が使わなくなり、一遍上人を宗祖とする「時宗」が宗派の名として確定されます。
そのため、一遍上人を宗祖とする僧尼衆を表すときに、江戸時代より前の場合は「時衆」、江戸時代以降の場合は「時宗」と慣わしがあります。
また、時宗の「時」は『阿弥陀仏』の説示である「臨命終時」に拠るとする教説もあります。一遍上人は臨終のお念仏を強調されましたが。これは単に命が尽きる時という意味ではありません。臨終は即ち平生であり、平生は即ち臨終です。つまり、生涯を終えるまで連続する“ただ今”を常に臨終の時と心得て、念仏するのが大事だとおっしゃられたのです。
更に詳しく知る→「時宗」公式ホームページ
一遍上人像
真教上人像